2009年09月23日

「グラン・トリノ」に『家庭』のタトゥー

もうそろそろ復活してもいい頃だと思うが、
なかなかその気にならない。

「けんかえれじい」の浅野順子みたい、
と書いても、もうわかる人にしかわからないだろう。

それはともかく「グラン・トリノ」に出てくる
タオの従兄弟のチンピラ仲間の一人が胸に「家庭」の刺青を
している。

「家族」だったか?

浅くだが、ネットを逍遥した限り、
その事を書いてあるサイト、ブログがなかったみたいなので、
書いておく。

意味深だよね、この映画にとって、このタトゥー。
posted by ELM at 18:25 | ☁ | Comment(43) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月28日

07.11.28のMOVIE TRAP:ALWAYS 続三丁目の夕日

前作での問題は、とりあえず全て
解決してしまう。

文字通り「続」の名に値する。

あっ、芥川賞が未決だけれども、
まあ、メインで映画を引っ張る話題ではない。

何より凄いのは冒頭の「寅さん」映画のような
「夢」の場面だろう。

今だかつて、これほど臨場感に溢れた
襲われる側から描いた「ゴジラ」映画はなかった。

鈴木オートの社長ならゴジラと戦えるかも、
と思わせる堤真一の演技の柄が良い。


さて「新三丁目の夕日」はできるでしょうか?
ランドマークシリーズのこの映画。
次は霞ヶ関ビルか?

少し進みすぎ・・・か?
posted by ELM at 21:13 | ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月13日

07.11.13のMOVIE TRAP:アドレナリン

ジェイソン・ステイサムの良さって、
顔(と頭)に似合わずスタイリッシュで
ハードボイルドな演技の中に、
そこはかとないユーモアというか
エスプリがある事だと思う。

でも、この映画では、ユーモアと言うよりは、
お下品なファルスが前面に出てきて、
お前はバカ殿の志村けんか、って感じ。

特にチャイナ・タウンのアオカンあたりからは、
引きに引いてしまった。

どうせならラストシーンは、
荒唐無稽な「助かる」ハッピーエンドに
して欲しかった。

ステイサムが嬉々として演じているから、
余計、始末が悪いぞ。
posted by ELM at 21:03 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月12日

07.11.12のMOVIE TRAP:しゃべれども しゃべれども

中盤は、ポロポロと涙が遠慮なく
出るくらい感動している。

難しく言えば、コミュニケーション不全の四人。
わかりやすく言えば、他人との距離の取り方が
わからない四人。

わからないから、いがみ合い、
いがみあうから、寄り添おうと、する。


しかし、感動の根本は、
どこから探してきたのか、
子役の森永悠希。

大阪弁、達者やなあ。
上方落語、上手いなあ。
表情、豊やなあ。
色、白いなあ。


開巻前、新潮社が大手スポンサーとわかる。

それなのに、師匠(伊東四朗)が解いているのは
「てこずるパズル」で週刊文春。

しかも、三つ葉(国分太一)の落語を教えてくれの
問い詰めに背中を向ける時、表紙に「春」の文字さえ見て取れる。


最後の橋の影を暗転、陽転に使った演出は上手いと
思うものの、香里奈と国分が結びつく、
ハッピーエンドの必然性が見えない。

神は細部に宿る。
映画の神も細部に宿る。

演出の神も細部に宿る。

八千草薫の「私のが上手い」が秀逸だっただけに、
細部の神の集合が全体なのだ、と言っておく。

つまり、映画はギリシャ神話なのだ。


posted by ELM at 21:02 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月11日

07.11.11のMOVIE TRAP:素人だって映画批評はできる「キャロル」

何か映画を観るべえ、と本棚をあさっていたら、
黄変した週刊誌の記事のラミネートを見つけた。

ELMの本名の下に(二一)○○大四年、と書いてある。
古い週刊朝日のスクラップだ。

当時、週刊朝日にはこういう連載があり、
毎週素人を何人か集めては試写を観せ、
観賞後の感想をまとめていた。

なぜ、ELMが呼ばれたかは、
思い出せない。

自分の発言だけピックアップ。



コラージュ風映画絵画とでも言うんでしょうが、
何かどこかで見たことがあるって気がして。
もうちょっとグサッとくるものがあれば、
キャロルを知らない人にも見せるんじゃないか。

ぼくはいなくなったジョニー大倉が川崎から出た、
ということでキャロルが新宿的じゃなく川崎的なもの
と見ていたから、この映画で、その情念が消えてしまった
気がして。

でも龍村監督は、キャロルの何に引かれたのでしょうか。
キャロルのつまらない日常会話がえんえんと出てくるでしょ。
もし、そんなところに彼が惚れたのなら、インテリが
ミーハーをみてびっくりした、ということだけ。

テレビでもない、映画でもないという何かあいまいで。

もしコラージュなら、もっと短くして、場面の衝撃力で
観客に考える余地を与えなければよかった。

(後略)

鋭い部分もあるが、生意気だ。

この映画はVHSやDVDになっていないのだろうか?
見かけた記憶が、ない。今では、貴重な映像資料だと思う。
posted by ELM at 06:22 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月31日

07.10.31のMOVIE TRAP:再録第2弾「ワイルド・フラワーズ」

これも思い出深いレビューです。
観た人にしかわからないはず、ですが、
それで良いと思っています。

ELMは、たぶん、これで越境を果たしました。

=======================================


製作:2004年日本
監督:小松隆志
出演:岡田義徳・鈴木美妃・石川美津穂
   キューティー鈴木・ジャガー横田・高畑淳子

演技は、身体表現なのだから、表情だけでなく、
優れた体技の持ち主は、もっと評価されるべきだ。

最近では、見栄えのする姿形を持つ者か、
表情筋57本の動かし方に秀でた者が俳優と呼ばれる。

俳優・・・。
俳をワザと読み、優をオギと読む。
ワザは「神意」を、つまり神の意志を顕し、
オギは「招き」で、俳優(ワザオギ)とは、
身振りなどで神を招くという意味。

原初の芸能、例えば神を招く旋回運動から・・・舞いは生まれた。

神意は、神懸かりのワザオギの言葉や
動作を通じて伝えられる。
語源はすでに「古事記」「日本書紀」に、ある。

***   ***   ***

禍々(まがまが)しいような、
神々しいような表情の高畑淳子のアップから映画は、はじまる。

「ワイルド・フラワーズ」
論理矛盾のようなタイトルに心惹かれた。

予断も偏見もなく、女子プロレスの映画というだけの予備知識で
TSUTAYAの棚のケースから抜いた。
観終わった時、2004年のマイ・ベスト1になった。

中島涼子役の石川美津穂が観る者を圧倒する。
画面に三分の一入っただけで、尋常でないオーラが放たれる。
世界のすべてを否定する鋭い殺気。

そして喫茶店での乱闘場面。
いや、一方的な制圧場面。
連続二段蹴りに痺れた。
切れの良さ、早さ。
日本の女優では志穂美悦子以来ではないか。

石川美津穂のワザを観るだけでも、
この映画は価値があると確信した。

そして、掟破りの18秒で終わるデビュー戦のかかと落としには、
しばらく言葉が消えた。久々の「ワザオギ」誕生。

桐島みどり役の鈴木美妃が徐々に化けていく。
おいおい、リングの上で「ベストキッド」かよ〜
と思いつつゾクゾクする。

本当に投げられている! 本当に跳んでいる! 鈴木美妃。
世界の片隅に居場所を求めておどおどしていた娘が、
荒ぶる者へと変身していく。
彼女もまた「ワザオギ」である事を示す。

細谷伸一役の岡田義徳に、うなった。
最初は、何だこいつと思った。
しかし、それは岡田義徳が造形した、
細谷伸一というキャラに反発したものだった。

ラスト、世界を軟弱に浮遊していた研修医から
不屈のプロモーターに成長した細谷伸一を演じきった
岡田義徳の演技力に感服した。
彼も「ワザオギ」である事を示す。
(「下妻物語」のデザイナーも岡田義徳だった。
  とても同じ俳優とは思えない)

三者三様の三人が、
ラストに向けて三位一体になっていく。

ラストの因縁試合、負けてマットに横たわり疲労困憊、
放心して喘ぎ、涙する石川美津穂の表情に得心した。

あれは、格闘技に限らず、限界を超えるまでに
渾身の力で挑んだ者だけが経験できる表情だ。

それを演技で再現できるのは、
石川美津穂こそ「ワザオギ」の名に相応しい役者だからだ、と思う。
神は、境界を超えた者にしか憑依しない。

そして、気づく。
その顔は驚くほど冒頭のアイアン飯島(高畑淳子)に似ている。
しかし、何かが違う。

そして、さらに気づく。
この映画の目的が、この因縁試合を描く事ではない事に。
だから試合は、ショーでもガチンコでもないはずなのに、
むしろそれまでよりも淡泊に描かれている。

試合の様子がスローモーションで展開される中、
劇中何度か流れたアイアン飯島の遺書の、
その最後の部分が、高畑淳子のナレーションでかぶってくる。

「・・・しかし、私は思うのです。
 プロレスとは、立ち向かっていく姿を
 見せるものなのではないかと。

 今の自分より大きなもの、理不尽な現実や運命に
 立ち向かっていく姿を見せるものではないかと思うのです。

 そして、その立ち向かっていく姿にこそ、勝ち負けを超越した
 プロレスの本質が存在すると私は思うのです」

だからこそ、精も根も尽き果てて涙ぐむ中島に、
桐島に、軟弱男から変身した伸一が叫ぶ。

「泣くな! 泣くなよ! 中島! 桐島!
 おい、いつまでも寝ているんじゃねぇ!
 立てよ! 立て! 立てよ!」

そう、立たなければ、
立ち向かっていく姿を見せる事ができない。

満場の拍手の中、敗者の眼をしていない
桐島が人差し指を高く掲げる。中島が、続く。
その二人の様子を確認し、会場に「もう1回!」コールが
炸裂する中、伸一はマイクを取りリングに上がる。

伸一は絶叫する。
「もう一度だけ、もう一度だけやらしてくれ!」

そして、マイクをリングに叩きつける。
なぜって?
それは反則ワザだから。
もう一度だけ、で始まった試合で、
もう一度と叫ぶのは反則ワザだから。
でも叫ばずにはいられなかった。

アイアン飯島の遺書は、こう続く。
「伸一。あの娘たちは頑張っていますか?
 たとえ私のこの体が滅んだとしても、私の魂は今でも
 あの娘たちの中に生き続けています。
 そして、お前の中にも・・・。

伸一。お願いです。
 どうかみんなで力を合わせて戦っていってください。
 プロレスとはもっと・・・(奥が深いものです)」

中島、桐島の二人が人差し指を掲げ、
再度立ち向かっていく意志を見せた時、
伸一にアイアン飯島の意志(遺志)が継承された。

この映画が、単なるスポ根物語や青春成長物語と一線を画すのは、
この瞬間だ。

立ち去って行く者にとって、引き継ぐ者の存在を信頼する事。
引き継ごうとする者にとって、立ち去った者の真意を体得する事。


アイアン飯島の遺言を基調にして
中島・桐島の戦いに伸一が感応し、
伸一の立て!の声に中島・桐島が感応する。

それぞれが感応しあった時、
アイアン飯島の意志が実体化する。

これはもはや、人生の歩き方(倫理)の継承に近い。

プロレスという言葉を人生という言葉に置き換えてみるといい。
アイアン飯島の遺書の、最後の部分こそが神託なのだ。
「・・・しかし、私は思うのです。
人生とは、立ち向かっていく姿を
見せるものなのではないかと。

今の自分より大きなもの、理不尽な現実や運命に
立ち向かっていく姿を見せるものではないかと思うのです。

そして、その立ち向かっていく姿にこそ、勝ち負けを超越した
人生の本質が存在すると私は思うのです」

この映画に感動した人は誰も、
言葉にはならずとも、この事を直観したはずだ。

だからこそ、この映画は泣ける。
どんな苦境や逆境にあろうとも、
世の中の、人や物や事の、醜さ、厭らしさ、
莫迦らしさに直面しても、自棄にならず、
他人にやさしくでき、ひっそりと、
しかし真っ当に生きていく事を選んだ人々の琴線に触れる。

中島は、自分より強い人間に負けて世界を受け入れ、
桐島は、挑み続ける事が世界で場所を確保する事だと知り、
伸一は、腰を据えて世界を生きる事の大切さを知る。


本物のプロレスラーたちを含め、
脇を固めてお笑いを担当する人たちが良い。
一人ひとりキャラが立ち、
存在感に不足するところがない。

そして、出番はわずかなのに、
しみいるようなナレーションを担当した高畑淳子。
柄(がら)といいエロキューションといい、
一番の「ワザオギ」は彼女かも知れない。
                     
posted by ELM at 20:54 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(1) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月30日

07.10.30のMOVIE TRAP:13/ザメッティ

ELM的には傑作。

ネタバラシ。
13人のプレーヤーが円陣を組んで行う
ロシアン・ルーレット。

大金を稼ぐのは、
生き残った奴とそいつに賭けた連中。
非合法。当たり前・・・か。


前半30分の倦怠が、
中盤のゲームを引き受ける
主人公のヒリヒリを納得させる。

何しろ、運が悪いと死ぬからね。
でも、自分の運の力なんて、誰も知らない。


スジがシンプルな分、
どうにでも料理できる。

その意味で深い。

この映画では、
虚仮威し的に出てきて、
結局アンポンタンの刑事を
プレーヤーに混ぜる事も出来る。

ゲームリーダーの逝っちゃっている
男を深く描く事もできる。

あのデブも、あの錯乱男も深く
描く事ができる。あの6番も。

最後をハッピーエンドにも
できる。

これは、業界の人をインスパイアする
映画だと思う。
posted by ELM at 21:13 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(1) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月19日

07.10.19のMOVIE TRAP:再録「ヴァイブレータ」

もうひとつの「七転八倒支離滅裂・・・」ブログを、
もう半年も更新していなくて、このままでは打ち切りですよ、
というメールが来ました。

やはり二兎はだめですね、
ご迷惑を掛けました、と思いつつ、
転居させたレビューを戻します第1弾です。

この映画がなかったら、このブログは
はじまりません、でした。

***********************

男は、饒舌に過去を語るが、真実なのか?

妻と娘の存在やストーカーの事さえ嘘であるように、
シャブの入った冷凍マグロの事もホテトルの話も、
他人の経験や風聞を自分の事のように話しているのではないのか?

中学も満足に出ていない男が、
CQを「英語のシーク・ユー、あなたを探す、
っていうのが語源て話」なんて答えられるのか? 

バックがやくざの無線クラブの幹部になれって
言われるくらいだから、それが事実ならそこそこに頭も切れるし、
腕もあるのだろう。

でも、ならない。
集まっての人間関係がうざったいから。

そう、男はまるで女の写し絵みたいだ。
惹句にあるような女の対極にいる人間ではないのだ。

女も饒舌に語るが、部屋で待っている男が
本当はいないように、真実である保証はどこにもない。

しかも、それはダイアローグではない。
頭の中の“声”と女自身の対話、つまり結局はモノローグ。
そして、映画の中では原作と違い女の過去は、
ひとつとして語られる事はない。

映画は、男の饒舌と女の過剰なモノローグで進行し、
肉は契りあっても、魂が絡み合う事は、ない。

「おかべたかとし、名前訊かないの?」
「下の名前だけでいいよ」
悲しいこと言うなよ。

悲しいことを言っているのは、玲、早川 玲。あんただよ。
そこまで自分を丸ごと受け入れてもらいたがるのは、
あんたが、こどもだからだ・・・。

過食のせいではない嘔吐で汚れた首や胸を綺麗にする
ため、岡部は玲をラブホテルにいざなう。

お湯の温度を気に掛けてくれる岡部を、
このやさしさは感情でなくて本能だよ、と思う“声”よ。
男が女のためにお湯の温度を気にするには本能じゃない。
それがわからない“声”よ、あんたは玲と共存できない。
玲も、それがわかっている。

固定したカメラではじまる「五十嵐食堂」の場面は、
これから大事なことがはじまる予兆に満ちている。

玲は、吐くから食べないと言い、
岡部は吐いても良いから食べろよ、
と玲を丸ごと受け入れようとする。

岡部は妻子持ちという嘘を認める。
玲は部屋で男が待っている、と嘘をつく。
「マジかよ、あんた。いいタマだな」
その嘘を認める玲。
真実の瞬間にまで嘘をつく玲。
別れは決定的になる。

なぜ、岡部が4トン車を玲に運転させたと思う?

自分の人生を運転できない玲に、おっかなびっくりでも、
自分の人生を自分で運転する事の歓びを、
教えたかったんじゃあないのか?

「それは衰えではなく、バランスの乱れが原因だったのです」
ファーストシーンのコンビニ場面で、雑誌の広告に姿を借りて、
もう玲の有り様が暗示されている。

でも、それはバランスのせいじゃあない。
でも、バランスのせいにすれば自分が守れる。

脚本の荒井晴彦は、原作通りに脚色したと言う。
しかし、シナリオは微妙に原作を変え、
特に、ラストシーンは原作にはない。

出会った同じコンビニで二人は別れる。
岡部が去ったあとで、玲は口笛を吹く。

最初の岡部の口笛は、玲を呼び寄せるためだった。
最後の玲の口笛は、もう一度岡部を呼ぶための口笛?

違う。
玲は気付く。自分の今の口笛の意味を。
急に交信を切っても、相手が心配しないCQの決まり事の口笛。

別れる事で、魂はようやくコミュニケーションする。

レジに前に立つ玲の姿が長回しで撮られる。
アップではないが玲の表情が微妙に変化する。
嬉しいような、悲しいような、何かを決めたような。
そこに“声”はもうかぶらない。

廣木隆一監督は言う。
「痛い映画にしたかった」

原作には玲と母親、玲と国語教師との確執が描かれ、
自立をさまたげられた女性の再生の物語になっている。

映画は、そこをスッパリとカットし、
自立はしていても自律できない、
人間関係に苦しむ女性像を描き、
普遍性を勝ち得ている。

そう、再生ではなく新生の物語。
誕生には痛みがともなう。だからこの映画は、痛い。
共感と慰安と激励と「叱咤」が込められているから。

別れる時の玲を見る岡部の眼。
長年の同士を見送るような眼。
ああいう眼で女と別れる男の気持ち。
岡部もまた対人関係に苦しんでいる。
男も、痛いのだ。

原作にないこのラストシーンは、
60代という荒井晴彦にしか書けない。

「命短し、恋せよ乙女」
この映画から、この唄がきこえる。
この唄は、年寄りにしか唄えない。
むしろ年寄りだから、万感を込めてひっそりと唄う。

なぜ、そう思うかって?
それは、私も年寄りだから・・・。


寺島しのぶが良い。
個人的には趣味ではないが、
画面を引っ張っていくその存在感は圧倒的。

大森南朋が良い。
あの「殺し屋1」と同じ役者とは思えない。
何を演じても仲**矢になってしまう仲**矢や、
何を演じても浅**信になってしまう浅**信より、
はるかに良い。

麿 赤兒の息子だという。

posted by ELM at 20:43 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月18日

07.10.18のMOVIE TRAP:アルゼンチンババア

5月の同窓会で近況報告をした威史が
「アルゼンチンババア」のキャスティングは、
自分だと言います。

初参加のマッチが「あのタイトルはないよ」
と言います。

「(原作が)よしもとばなな、だから・・・」
と某(思い出せない)風邪薬のCMの最後に
お父さん役で特別出演している威史が答えて、
その話は終わりました。


鈴木京香では、ないですね。
良い役者とは思いますが、
予告編で勘違いしたように
夏木マリなら、A−OKです。

役所広司の役は大杉 漣でお願いしたかった
ところです。

不条理を受けとめて生きる女と
不条理に引き寄せられて死にそびれる男を
演じられるのは、この二人でしょう。


堀北真希は良いのですが、
ババアとジジイに人を得なかった為に、
存在感が薄くなりました。


役所広司に言いたい。
髪で演技するな!!
渡辺 謙を見よ。髪が、ない!!!

髪はデーモンぞ。
デーモンを殺して演技する
役者になれ。

森下愛子とその息子(役)が、良いです。
posted by ELM at 20:52 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月08日

07.10.08のMOVIE TRAP;ロッキー ザ・ファイナル

この映画の骨格は年月だと思う。

もっと言えば死別であり、
老化と言う不可避の現実なのだ。

ストーリーは陳腐と言っては語弊がある。
定番と言っては支障がある。

過去のシリーズがあってこそ生きる展開と言える。
その意味で、まるで日活のプログラムピクチュアのようだ。

渡辺武信(お元気ですか?)の言う、
自己奪回の物語だ。

展開はお約束だが、このお約束は
ロッキーのシリーズとシルベスター・スタローンの
肉体があってこそ結実する。

相手チャンプの寓意はどうにも解釈のしようがあるが、
そんな事は誰かに任せておく。

10ラウンドを真っ当に戦い終わり、
採点が発表される前に、ロッキーは、
スタローンは仲間に言う。

「さあ、帰ろうぜ」

暗喩と言うつもりはないが、
結果はどうあれ、正々堂々と戦ったら、
ホームへ帰ろうぜ、と言うメッセージが潔い。


クレジットロールで、ロッキー・ステップ
(フィラデルフィア美術館の前の階段)で
「ロッキー1」のように乱舞する性別男女を超えた
人々が点描される。

「ロッキー」の本質が、このシーンにある。

名もなき無告の人の昂揚と勝利を、
束の間でも信じさせたからこそ
「ロッキー」は歴史に刻印ではなく、
歴史を刻印する。

posted by ELM at 20:51 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月03日

07.10.03のMOVIE TRAP:ミス・ポター

驚くほど、何も起きない。

せいぜい、フィアンセのトラブルくらいか。
でも、あきない。

英国英語、変な言い方だが、
すべてわからないまでも、
方言の米国英語より聞きやすいし、
妙にホッ、とする。

ピーター・ラビットのイヤー・プレートを
bambiは毎年買っていて、なぜかトイレには、
カレンダーも飾ってある。
(数年前にプレートの契約は終了したようです)


前半と後半の転調がよくわからないけれど、
心静かに、豊かに見終わる事ができたのは、
特筆だと思います。

でも、ピーナッツ(スヌーピー)の方が、
ELM的には好み。男の子、だからか?

中でもライナスは無上の共感を覚えるのだが、
タオルケットフェチにはならなかった。


ああ、それなのに、
buta-muchiは10センチ四方になったものを、
今でも肌身離さない。



レニとユアンも良いし、
脇も良いです。

資本主義の創世記を見るようです。
あ、すいません、最近は経済学を勉強し直しています。


心理学と経済学は学問ではない、と言う
自説が補強されるのが、むしろ怖いくらいです。

経済学が大恐慌を説明できないのはなぜか。
それは・・・これは別のsiteで書きますね。
posted by ELM at 21:13 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月28日

07.09.28のMOVIE TRAP:あなたになら言える秘密のこと

観ていない人には観たい気にさせる。
観た人には、そうそう、と言ってもらいたい。

ELMのレビューは、だから、ストーリー紹介は、しない。


相手が、見えないティム・ロビンスだからこそ、
心と体の傷を見せるサラ・ポーリーの演技には、
息が止まり筋肉が突っ張った。

ティム・ロビンスのように嗚咽する。
だって、それは、友人のハンナの名を借りた自分史。


そして、ラストシーンが、ハッピーエンドになるのか、
そうではないのか?

これほどドキドキ考えた映画は、過去になかった。

サラ・ポーリー。

硬質なのに情感があり、
情感があるのに脆弱ではない。

ティム・ロビンスの食べ残しを
むさぼる場面の異様な迫力は、
映画史に残ると思う。

失ったものを、最初からなかったものにして
生きて来た堰が、一気に決壊していく様を、
これほど顕著に演出する、演技できる。


この監督と女優のシンクロは凄いと思う。







posted by ELM at 21:10 | ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

07.09.28のMOVIE TRAP:アンフェア

シナリオが、アンフェア、と一刀両断。

篠原涼子は良いのだけれど、
あのメイクはないでしょう。
posted by ELM at 05:26 | ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月24日

07.08.24のMOVIE TRAP:善き人のためのソナタ

しょぼい映画だな〜と思う。

でも、このしょぼさの感動は、
若い人にはわからないだろうな、
歳をとるのも悪くはないな、
ひとり合点してしまった。

マルティナ・ゲデック(クリスタ)の美しさに
惹かれるウルリッヒ・ミューエ(ヴィースラー大尉)の
無骨な演技に身を切られる。

恋人のセバスチャン・コッホ(ドライマン)が
長い年月を掛けて盗聴記録を物語にし、
ウルリッヒの恋心を綴る。

知らず大尉はメイラーを続けている。
東ドイツが開放されても続けている。

裏切りの責ではなく、
彼女を想いながら、その事が逆に
彼女に死を招いた事を自責しながら。

何という思いの深さよ。

この本に、この映画のラストシーンは
描かれていない。

そこに、このシナリオの凄さを思う。


ドライマンが、この冴えない恋心の
大尉の真心を認めているところが、好きだ。

「善き人のためのソナタ」を書くために、
2年半?も掛けている。

ラストシーンの大尉の喜びを、
我が事のように感じた。

posted by ELM at 21:20 | ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月18日

07.08.18のMOVIE TRAP:さくらん

絢爛という言葉は、
この映画のために、ある。

色彩の鮮やかさ、艶やかさ、
深浅の対比、調和、破調、融和。

アングルの安定、傾斜、
不和、収束、破綻、安寧。


桜にはじまり、桜に終わる。
さくらんは、咲くらんと錯乱の
二重意味か?

嗚呼、これほどに綺麗な映画を、
いままで観た事があっただろうか?
すぐには思い出せない。


映像だけではなく、
菅野美穂、木村佳乃の女衆も良いが、
安藤政信、成宮寛貴の男衆も良い。

安藤の花魁道中の時の一瞬も瞬きをせぬ凛々しさ。
成宮の雨の中で魅せる「鬼の笑い」の凄艶さ。

以前より、清々しいのに雫のように
卑しさのこぼれ落ちる成宮の笑顔を、
これほどまでに生かした映画が、
かってあっただろうか?

この映画は、怖い。

そして、色彩溢れるこの映画の中で、
唯一墨絵のようなこの場面で魅せる
土屋アンナの愛おしさ、矜恃、慟哭は、
抱きしめたいのに躊躇わせるほどの
孤絶を引き受ける覚悟を感じる。


演出や演技指導、編集が上手く行っているとは
思えない部分もあるが、土屋アンナの起用を疑問視する声が
あるかも知れないが、土屋アンナだからこそ、
この映画は「さくらん」を描いて、魅せた。

あの氾濫する色彩をねじ伏せる力量のある女は、
土屋アンナしか、いない。

監督の蜷川実花は、そう直観したのだと思う。

「下妻物語」のイチゴと同じ演技だと思ったら、
大間違いだ。


椎名林檎の音楽が、妙に、良い。
江戸時代にもロックな生き方をした奴は、
いるのだ、と信じさせる。
posted by ELM at 21:06 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月07日

07.08.07のMOVIE TRAP:世界最速のインディアン

悪い人、嫌な人は一人も出てきません。

たゆたうような、ゆるいような演出ですが、
アンソニー・ホプキンスの演技を見こしての
テクニックのような気がします。

隣の男の子に言います。

「夢を追わない奴は野菜だ」
「どんな?」
「キャベツだ」

訳がわかりませんが、
感動するアフォリズムです。


すべては、最後の疾走シーンのための
伏線だと思います。

それくらい、この疾走し新記録を作る
シーンは感情移入します。

限界を超えて記録を出すために、
やるだろうな、と思いつつ、やはり、
それをやるのですが、感動します。

男は、どんなに歳をとっても、
キャベツではなく、ニンジンでなければ、
いけないのです。(最近、意味不明、多いですね)


転倒し回転(痛そう!)し、
まさかこれでエンディングと
思ったら、字幕がとんでもない後日譚を語ります。


「その後、彼は9年間、記録を更新し続けた」


実話かどうかは、どうでも良いのです。

アンソニー・ホプキンスが
アンソニー・ホプキンスの価値を
わかっている事を証明する映画です。

posted by ELM at 20:56 | ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月29日

07.07.29のMOVIE TRAP:西川美和「蛇いちご」

ようやく見つけました。

達者な監督で達者な映画と思う。

宮迫博之、平泉成、大谷直子、つみきみほ、
という癖の強い演者を集め、
それぞれに粒だった演技をさせながら、
見事なハーモニーを奏でる。

「ゆれる」の後から観たからそう思うのか、
河がキーワードか?

本当の事を言っても信じないのなら、
嘘を吐いてやる?


稀に見る端正な映画なのに、
最後の最後に謎が残る。
(これも「ゆれる」同様)

余韻と思うか思わせぶりと思うかは、
観客次第だが、評価が分かれる、
好き嫌いが分かれる、のはその点だろう。


平泉成は、征から成になって、
本当に良くなった。

風呂場の後ろ姿は絶品。


あれっ?
絵沢萌子の家族は、どこから帰った?
posted by ELM at 07:08 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月25日

07.07.25のMOVIE TRAP:パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド

おいおいおい、
プロローグの縛り首の場面は、
何処につながるの?

まさかと思って、
長い長いエンド・クレジットに
耐えるのです。

案の定、あしたのジョー。
世界の果てはあっても、
パイレーツの果てはないのです。

吹き替えで観ても、
駆け引きが多すぎて
整理できません。

どうやらキーラ・ナイトレイの映画に
なりつつあるのだけは、理解できました。
posted by ELM at 05:11 | 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月19日

07.07.19のMOVIE TRAP:最‘愛’絶叫計画

最‘エロ’絶叫計画でも
良かったとも思うのですが、
それほどエロではありません。

その辺の中途半端さが、
ちとサビシイね。

何度も同じビキニのお姉ちゃんの
シーンを出すのも怠慢だし。

どっかで観た事あるよね、このシーンと
思いつつ、どの映画か、
特定する気力は沸いてこない。

キル・タイムが暇つぶしなら、
この映画はキル・ビル(無駄づかい)って感じ。

キル・ビル(無駄づかい)は、
ELMの勝手な造語だけれど、
ここに至ってようやく
「Gガール」とごっちゃになった訳が
わかった。

日本人のELMにとっては、
両方とも「キル・ビル」なのだ。

多分。

posted by ELM at 20:47 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(2) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

07.07.19のMOVIE TRAP:Gガール“MY SUPER EX-GIRLFRIEND

もう消しましたけど
「Gガール」と「最‘愛’絶叫計画」と
ごちゃまぜにしてカキコしてました。

週の半ばにして疲れ切っています。

で「Gガール」の原題ですが
“MY SUPER EX-GIRLFRIEND”です。

「G」は‘GIRLFRIEND”の“G”なのですね?
何か変。

“EX”が付くからぶっ飛んでいる、って事?
それとも、元カノって事?

ん〜、疲れている。
思考のメビウスだ。
posted by ELM at 05:22 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(1) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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