2007年10月31日

07.10.31のMOVIE TRAP:再録第2弾「ワイルド・フラワーズ」

これも思い出深いレビューです。
観た人にしかわからないはず、ですが、
それで良いと思っています。

ELMは、たぶん、これで越境を果たしました。

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製作:2004年日本
監督:小松隆志
出演:岡田義徳・鈴木美妃・石川美津穂
   キューティー鈴木・ジャガー横田・高畑淳子

演技は、身体表現なのだから、表情だけでなく、
優れた体技の持ち主は、もっと評価されるべきだ。

最近では、見栄えのする姿形を持つ者か、
表情筋57本の動かし方に秀でた者が俳優と呼ばれる。

俳優・・・。
俳をワザと読み、優をオギと読む。
ワザは「神意」を、つまり神の意志を顕し、
オギは「招き」で、俳優(ワザオギ)とは、
身振りなどで神を招くという意味。

原初の芸能、例えば神を招く旋回運動から・・・舞いは生まれた。

神意は、神懸かりのワザオギの言葉や
動作を通じて伝えられる。
語源はすでに「古事記」「日本書紀」に、ある。

***   ***   ***

禍々(まがまが)しいような、
神々しいような表情の高畑淳子のアップから映画は、はじまる。

「ワイルド・フラワーズ」
論理矛盾のようなタイトルに心惹かれた。

予断も偏見もなく、女子プロレスの映画というだけの予備知識で
TSUTAYAの棚のケースから抜いた。
観終わった時、2004年のマイ・ベスト1になった。

中島涼子役の石川美津穂が観る者を圧倒する。
画面に三分の一入っただけで、尋常でないオーラが放たれる。
世界のすべてを否定する鋭い殺気。

そして喫茶店での乱闘場面。
いや、一方的な制圧場面。
連続二段蹴りに痺れた。
切れの良さ、早さ。
日本の女優では志穂美悦子以来ではないか。

石川美津穂のワザを観るだけでも、
この映画は価値があると確信した。

そして、掟破りの18秒で終わるデビュー戦のかかと落としには、
しばらく言葉が消えた。久々の「ワザオギ」誕生。

桐島みどり役の鈴木美妃が徐々に化けていく。
おいおい、リングの上で「ベストキッド」かよ〜
と思いつつゾクゾクする。

本当に投げられている! 本当に跳んでいる! 鈴木美妃。
世界の片隅に居場所を求めておどおどしていた娘が、
荒ぶる者へと変身していく。
彼女もまた「ワザオギ」である事を示す。

細谷伸一役の岡田義徳に、うなった。
最初は、何だこいつと思った。
しかし、それは岡田義徳が造形した、
細谷伸一というキャラに反発したものだった。

ラスト、世界を軟弱に浮遊していた研修医から
不屈のプロモーターに成長した細谷伸一を演じきった
岡田義徳の演技力に感服した。
彼も「ワザオギ」である事を示す。
(「下妻物語」のデザイナーも岡田義徳だった。
  とても同じ俳優とは思えない)

三者三様の三人が、
ラストに向けて三位一体になっていく。

ラストの因縁試合、負けてマットに横たわり疲労困憊、
放心して喘ぎ、涙する石川美津穂の表情に得心した。

あれは、格闘技に限らず、限界を超えるまでに
渾身の力で挑んだ者だけが経験できる表情だ。

それを演技で再現できるのは、
石川美津穂こそ「ワザオギ」の名に相応しい役者だからだ、と思う。
神は、境界を超えた者にしか憑依しない。

そして、気づく。
その顔は驚くほど冒頭のアイアン飯島(高畑淳子)に似ている。
しかし、何かが違う。

そして、さらに気づく。
この映画の目的が、この因縁試合を描く事ではない事に。
だから試合は、ショーでもガチンコでもないはずなのに、
むしろそれまでよりも淡泊に描かれている。

試合の様子がスローモーションで展開される中、
劇中何度か流れたアイアン飯島の遺書の、
その最後の部分が、高畑淳子のナレーションでかぶってくる。

「・・・しかし、私は思うのです。
 プロレスとは、立ち向かっていく姿を
 見せるものなのではないかと。

 今の自分より大きなもの、理不尽な現実や運命に
 立ち向かっていく姿を見せるものではないかと思うのです。

 そして、その立ち向かっていく姿にこそ、勝ち負けを超越した
 プロレスの本質が存在すると私は思うのです」

だからこそ、精も根も尽き果てて涙ぐむ中島に、
桐島に、軟弱男から変身した伸一が叫ぶ。

「泣くな! 泣くなよ! 中島! 桐島!
 おい、いつまでも寝ているんじゃねぇ!
 立てよ! 立て! 立てよ!」

そう、立たなければ、
立ち向かっていく姿を見せる事ができない。

満場の拍手の中、敗者の眼をしていない
桐島が人差し指を高く掲げる。中島が、続く。
その二人の様子を確認し、会場に「もう1回!」コールが
炸裂する中、伸一はマイクを取りリングに上がる。

伸一は絶叫する。
「もう一度だけ、もう一度だけやらしてくれ!」

そして、マイクをリングに叩きつける。
なぜって?
それは反則ワザだから。
もう一度だけ、で始まった試合で、
もう一度と叫ぶのは反則ワザだから。
でも叫ばずにはいられなかった。

アイアン飯島の遺書は、こう続く。
「伸一。あの娘たちは頑張っていますか?
 たとえ私のこの体が滅んだとしても、私の魂は今でも
 あの娘たちの中に生き続けています。
 そして、お前の中にも・・・。

伸一。お願いです。
 どうかみんなで力を合わせて戦っていってください。
 プロレスとはもっと・・・(奥が深いものです)」

中島、桐島の二人が人差し指を掲げ、
再度立ち向かっていく意志を見せた時、
伸一にアイアン飯島の意志(遺志)が継承された。

この映画が、単なるスポ根物語や青春成長物語と一線を画すのは、
この瞬間だ。

立ち去って行く者にとって、引き継ぐ者の存在を信頼する事。
引き継ごうとする者にとって、立ち去った者の真意を体得する事。


アイアン飯島の遺言を基調にして
中島・桐島の戦いに伸一が感応し、
伸一の立て!の声に中島・桐島が感応する。

それぞれが感応しあった時、
アイアン飯島の意志が実体化する。

これはもはや、人生の歩き方(倫理)の継承に近い。

プロレスという言葉を人生という言葉に置き換えてみるといい。
アイアン飯島の遺書の、最後の部分こそが神託なのだ。
「・・・しかし、私は思うのです。
人生とは、立ち向かっていく姿を
見せるものなのではないかと。

今の自分より大きなもの、理不尽な現実や運命に
立ち向かっていく姿を見せるものではないかと思うのです。

そして、その立ち向かっていく姿にこそ、勝ち負けを超越した
人生の本質が存在すると私は思うのです」

この映画に感動した人は誰も、
言葉にはならずとも、この事を直観したはずだ。

だからこそ、この映画は泣ける。
どんな苦境や逆境にあろうとも、
世の中の、人や物や事の、醜さ、厭らしさ、
莫迦らしさに直面しても、自棄にならず、
他人にやさしくでき、ひっそりと、
しかし真っ当に生きていく事を選んだ人々の琴線に触れる。

中島は、自分より強い人間に負けて世界を受け入れ、
桐島は、挑み続ける事が世界で場所を確保する事だと知り、
伸一は、腰を据えて世界を生きる事の大切さを知る。


本物のプロレスラーたちを含め、
脇を固めてお笑いを担当する人たちが良い。
一人ひとりキャラが立ち、
存在感に不足するところがない。

そして、出番はわずかなのに、
しみいるようなナレーションを担当した高畑淳子。
柄(がら)といいエロキューションといい、
一番の「ワザオギ」は彼女かも知れない。
                     
posted by ELM at 20:54 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(1) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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