
*ネタバラシあり。
ファンタジー? いやメルヘンか?
ファンタジーの中に巧妙に丁寧に
ミステリーの伏線(TRAP)を仕掛けた脚本家。
それを実現すべく丁寧に演じた役者達。
静かに映像を支え、決して邪魔をしないテーマ曲とその変奏。
動と静の緩急を心得たカメラワーク。
そして、この荒唐無稽な話をスタッフ、キャストを統べて
ものにした監督の力量。
最近の日本映画は本当に良いと思う。
冒頭、キリスト教的に弔う場面から、
観客はこの映画が非日常の物語であることを、
それとなく知らされる。
水面(みなも)に落ちる雨滴があらわすタイトル。
それさえも澪が再び現世(うつしよ)を去る時の伏線になっている。
あざとさと紙一重のところにとどまり、
現世のはかなさ、大切さが描かれる。
竹内結子、中村獅童、子役の武井証の三人はもとより、
脇役にこそ気を使った映画が面白くならないわけがない。
教師なのに場違いなファッションのYOUは、
祐司の突然の早退願いを許す人物像を観客に納得させる。
「先生!」とだけ言って立ち上がる同級生役、
美山加恋の切迫した表情も良い。
「ああ、もう夏だ」を言うためだけに各シーンで
居眠りしていた中村嘉津男。
何気ないが、主人公にとっては悲劇的この上ない台詞を、
あのタイミング、あのトーンで言える役者は、そうは、いない。
ホラーもそうだが、ファンタジー映画も役者に演技力が求められる。
しかも、あの間延びした言い方は、この映画がファンタジーである
ことを再度、観客に強調している。
その緊迫と弛緩の異化効果が、逆に観客を画面に向かわせる。
いつも笑顔の野口医師を演じた小日向文世も、
巧の澪が戻ってくる、戻ってきた、という話に安易に同調はしない。
それが、日常(現世)の反応だから。
だからこそ観客は、巧の心に寄り添う。
たくさんの良い意味での詐術(TRAP)を張り巡らせて、
この映画は最大の詐術(クライマックス)へと向かう。
ラスト。映画は巧の視点から、澪の日記、澪の視点に変わる。
思いを断ち切れず大学に澪を訪ね、
結局、声も掛けずに立ち去る巧。
その後ろ姿に気付き、追いかけて交通事故に遭う二十歳の澪。
物語は、その事故の昏睡状態の時に見た予知夢だったのだ。
澪は選ぶ。他の人生を選ばない。
巧と結ばれ、祐司を授かり、残す人生を選ぶ。
28歳で死に、1年後の雨の日に復活し、
梅雨明けの日に永訣する人生を選ぶ。
巧の住む町へ向かう電車の中で、澪は日記に書く。
「いま、会いにゆきます」
ひまわり畑で二人は抱き合う。
カメラは、ゆっくりとトラックバック(後退)し、
ひまわり畑を大きく映し出す。
比較的動きが少なく、あってもゆっくりとしたズームか
横移動が主だったカメラが、おそらく初めて縦移動し、
ひまわりに囲まれた二人をとらえ、
この物語が、実は両思いの物語であったことへの
並々ならぬ多幸感と感動を観客に与える。
しぬために、いま、愛に、いきます。
愛を、残すために・・・。
***** ***** *****
今時、まずいカレーライスを作る方がむずかしい、
だろうが、とか。
買い物はどうしたんだ、誰がしたんだ、
などと、野暮なことは言ってはいけない。
時代設定は巧妙にぼかされ、
それは家の造りにも現れている。
墓石にも生年〜没年は記されず、
死亡年齢が刻まれている。
70年代回帰。スローライフのすすめ。
高校生の巧を演じた浅利陽介に、もう少しタッパが欲しかった。
中村獅童、竹内結子の結婚発表前に観たかった。
近来まれに見る、ドキドキするキスシーンだった。
【site1:MOVIE TRAPの最新記事】

