2007年10月31日

07.10.31のMOVIE TRAP:再録第2弾「ワイルド・フラワーズ」

これも思い出深いレビューです。
観た人にしかわからないはず、ですが、
それで良いと思っています。

ELMは、たぶん、これで越境を果たしました。

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製作:2004年日本
監督:小松隆志
出演:岡田義徳・鈴木美妃・石川美津穂
   キューティー鈴木・ジャガー横田・高畑淳子

演技は、身体表現なのだから、表情だけでなく、
優れた体技の持ち主は、もっと評価されるべきだ。

最近では、見栄えのする姿形を持つ者か、
表情筋57本の動かし方に秀でた者が俳優と呼ばれる。

俳優・・・。
俳をワザと読み、優をオギと読む。
ワザは「神意」を、つまり神の意志を顕し、
オギは「招き」で、俳優(ワザオギ)とは、
身振りなどで神を招くという意味。

原初の芸能、例えば神を招く旋回運動から・・・舞いは生まれた。

神意は、神懸かりのワザオギの言葉や
動作を通じて伝えられる。
語源はすでに「古事記」「日本書紀」に、ある。

***   ***   ***

禍々(まがまが)しいような、
神々しいような表情の高畑淳子のアップから映画は、はじまる。

「ワイルド・フラワーズ」
論理矛盾のようなタイトルに心惹かれた。

予断も偏見もなく、女子プロレスの映画というだけの予備知識で
TSUTAYAの棚のケースから抜いた。
観終わった時、2004年のマイ・ベスト1になった。

中島涼子役の石川美津穂が観る者を圧倒する。
画面に三分の一入っただけで、尋常でないオーラが放たれる。
世界のすべてを否定する鋭い殺気。

そして喫茶店での乱闘場面。
いや、一方的な制圧場面。
連続二段蹴りに痺れた。
切れの良さ、早さ。
日本の女優では志穂美悦子以来ではないか。

石川美津穂のワザを観るだけでも、
この映画は価値があると確信した。

そして、掟破りの18秒で終わるデビュー戦のかかと落としには、
しばらく言葉が消えた。久々の「ワザオギ」誕生。

桐島みどり役の鈴木美妃が徐々に化けていく。
おいおい、リングの上で「ベストキッド」かよ〜
と思いつつゾクゾクする。

本当に投げられている! 本当に跳んでいる! 鈴木美妃。
世界の片隅に居場所を求めておどおどしていた娘が、
荒ぶる者へと変身していく。
彼女もまた「ワザオギ」である事を示す。

細谷伸一役の岡田義徳に、うなった。
最初は、何だこいつと思った。
しかし、それは岡田義徳が造形した、
細谷伸一というキャラに反発したものだった。

ラスト、世界を軟弱に浮遊していた研修医から
不屈のプロモーターに成長した細谷伸一を演じきった
岡田義徳の演技力に感服した。
彼も「ワザオギ」である事を示す。
(「下妻物語」のデザイナーも岡田義徳だった。
  とても同じ俳優とは思えない)

三者三様の三人が、
ラストに向けて三位一体になっていく。

ラストの因縁試合、負けてマットに横たわり疲労困憊、
放心して喘ぎ、涙する石川美津穂の表情に得心した。

あれは、格闘技に限らず、限界を超えるまでに
渾身の力で挑んだ者だけが経験できる表情だ。

それを演技で再現できるのは、
石川美津穂こそ「ワザオギ」の名に相応しい役者だからだ、と思う。
神は、境界を超えた者にしか憑依しない。

そして、気づく。
その顔は驚くほど冒頭のアイアン飯島(高畑淳子)に似ている。
しかし、何かが違う。

そして、さらに気づく。
この映画の目的が、この因縁試合を描く事ではない事に。
だから試合は、ショーでもガチンコでもないはずなのに、
むしろそれまでよりも淡泊に描かれている。

試合の様子がスローモーションで展開される中、
劇中何度か流れたアイアン飯島の遺書の、
その最後の部分が、高畑淳子のナレーションでかぶってくる。

「・・・しかし、私は思うのです。
 プロレスとは、立ち向かっていく姿を
 見せるものなのではないかと。

 今の自分より大きなもの、理不尽な現実や運命に
 立ち向かっていく姿を見せるものではないかと思うのです。

 そして、その立ち向かっていく姿にこそ、勝ち負けを超越した
 プロレスの本質が存在すると私は思うのです」

だからこそ、精も根も尽き果てて涙ぐむ中島に、
桐島に、軟弱男から変身した伸一が叫ぶ。

「泣くな! 泣くなよ! 中島! 桐島!
 おい、いつまでも寝ているんじゃねぇ!
 立てよ! 立て! 立てよ!」

そう、立たなければ、
立ち向かっていく姿を見せる事ができない。

満場の拍手の中、敗者の眼をしていない
桐島が人差し指を高く掲げる。中島が、続く。
その二人の様子を確認し、会場に「もう1回!」コールが
炸裂する中、伸一はマイクを取りリングに上がる。

伸一は絶叫する。
「もう一度だけ、もう一度だけやらしてくれ!」

そして、マイクをリングに叩きつける。
なぜって?
それは反則ワザだから。
もう一度だけ、で始まった試合で、
もう一度と叫ぶのは反則ワザだから。
でも叫ばずにはいられなかった。

アイアン飯島の遺書は、こう続く。
「伸一。あの娘たちは頑張っていますか?
 たとえ私のこの体が滅んだとしても、私の魂は今でも
 あの娘たちの中に生き続けています。
 そして、お前の中にも・・・。

伸一。お願いです。
 どうかみんなで力を合わせて戦っていってください。
 プロレスとはもっと・・・(奥が深いものです)」

中島、桐島の二人が人差し指を掲げ、
再度立ち向かっていく意志を見せた時、
伸一にアイアン飯島の意志(遺志)が継承された。

この映画が、単なるスポ根物語や青春成長物語と一線を画すのは、
この瞬間だ。

立ち去って行く者にとって、引き継ぐ者の存在を信頼する事。
引き継ごうとする者にとって、立ち去った者の真意を体得する事。


アイアン飯島の遺言を基調にして
中島・桐島の戦いに伸一が感応し、
伸一の立て!の声に中島・桐島が感応する。

それぞれが感応しあった時、
アイアン飯島の意志が実体化する。

これはもはや、人生の歩き方(倫理)の継承に近い。

プロレスという言葉を人生という言葉に置き換えてみるといい。
アイアン飯島の遺書の、最後の部分こそが神託なのだ。
「・・・しかし、私は思うのです。
人生とは、立ち向かっていく姿を
見せるものなのではないかと。

今の自分より大きなもの、理不尽な現実や運命に
立ち向かっていく姿を見せるものではないかと思うのです。

そして、その立ち向かっていく姿にこそ、勝ち負けを超越した
人生の本質が存在すると私は思うのです」

この映画に感動した人は誰も、
言葉にはならずとも、この事を直観したはずだ。

だからこそ、この映画は泣ける。
どんな苦境や逆境にあろうとも、
世の中の、人や物や事の、醜さ、厭らしさ、
莫迦らしさに直面しても、自棄にならず、
他人にやさしくでき、ひっそりと、
しかし真っ当に生きていく事を選んだ人々の琴線に触れる。

中島は、自分より強い人間に負けて世界を受け入れ、
桐島は、挑み続ける事が世界で場所を確保する事だと知り、
伸一は、腰を据えて世界を生きる事の大切さを知る。


本物のプロレスラーたちを含め、
脇を固めてお笑いを担当する人たちが良い。
一人ひとりキャラが立ち、
存在感に不足するところがない。

そして、出番はわずかなのに、
しみいるようなナレーションを担当した高畑淳子。
柄(がら)といいエロキューションといい、
一番の「ワザオギ」は彼女かも知れない。
                     
posted by ELM at 20:54 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(1) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月30日

07.10.30のMOVIE TRAP:13/ザメッティ

ELM的には傑作。

ネタバラシ。
13人のプレーヤーが円陣を組んで行う
ロシアン・ルーレット。

大金を稼ぐのは、
生き残った奴とそいつに賭けた連中。
非合法。当たり前・・・か。


前半30分の倦怠が、
中盤のゲームを引き受ける
主人公のヒリヒリを納得させる。

何しろ、運が悪いと死ぬからね。
でも、自分の運の力なんて、誰も知らない。


スジがシンプルな分、
どうにでも料理できる。

その意味で深い。

この映画では、
虚仮威し的に出てきて、
結局アンポンタンの刑事を
プレーヤーに混ぜる事も出来る。

ゲームリーダーの逝っちゃっている
男を深く描く事もできる。

あのデブも、あの錯乱男も深く
描く事ができる。あの6番も。

最後をハッピーエンドにも
できる。

これは、業界の人をインスパイアする
映画だと思う。
posted by ELM at 21:13 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(1) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月19日

07.10.19のMOVIE TRAP:再録「ヴァイブレータ」

もうひとつの「七転八倒支離滅裂・・・」ブログを、
もう半年も更新していなくて、このままでは打ち切りですよ、
というメールが来ました。

やはり二兎はだめですね、
ご迷惑を掛けました、と思いつつ、
転居させたレビューを戻します第1弾です。

この映画がなかったら、このブログは
はじまりません、でした。

***********************

男は、饒舌に過去を語るが、真実なのか?

妻と娘の存在やストーカーの事さえ嘘であるように、
シャブの入った冷凍マグロの事もホテトルの話も、
他人の経験や風聞を自分の事のように話しているのではないのか?

中学も満足に出ていない男が、
CQを「英語のシーク・ユー、あなたを探す、
っていうのが語源て話」なんて答えられるのか? 

バックがやくざの無線クラブの幹部になれって
言われるくらいだから、それが事実ならそこそこに頭も切れるし、
腕もあるのだろう。

でも、ならない。
集まっての人間関係がうざったいから。

そう、男はまるで女の写し絵みたいだ。
惹句にあるような女の対極にいる人間ではないのだ。

女も饒舌に語るが、部屋で待っている男が
本当はいないように、真実である保証はどこにもない。

しかも、それはダイアローグではない。
頭の中の“声”と女自身の対話、つまり結局はモノローグ。
そして、映画の中では原作と違い女の過去は、
ひとつとして語られる事はない。

映画は、男の饒舌と女の過剰なモノローグで進行し、
肉は契りあっても、魂が絡み合う事は、ない。

「おかべたかとし、名前訊かないの?」
「下の名前だけでいいよ」
悲しいこと言うなよ。

悲しいことを言っているのは、玲、早川 玲。あんただよ。
そこまで自分を丸ごと受け入れてもらいたがるのは、
あんたが、こどもだからだ・・・。

過食のせいではない嘔吐で汚れた首や胸を綺麗にする
ため、岡部は玲をラブホテルにいざなう。

お湯の温度を気に掛けてくれる岡部を、
このやさしさは感情でなくて本能だよ、と思う“声”よ。
男が女のためにお湯の温度を気にするには本能じゃない。
それがわからない“声”よ、あんたは玲と共存できない。
玲も、それがわかっている。

固定したカメラではじまる「五十嵐食堂」の場面は、
これから大事なことがはじまる予兆に満ちている。

玲は、吐くから食べないと言い、
岡部は吐いても良いから食べろよ、
と玲を丸ごと受け入れようとする。

岡部は妻子持ちという嘘を認める。
玲は部屋で男が待っている、と嘘をつく。
「マジかよ、あんた。いいタマだな」
その嘘を認める玲。
真実の瞬間にまで嘘をつく玲。
別れは決定的になる。

なぜ、岡部が4トン車を玲に運転させたと思う?

自分の人生を運転できない玲に、おっかなびっくりでも、
自分の人生を自分で運転する事の歓びを、
教えたかったんじゃあないのか?

「それは衰えではなく、バランスの乱れが原因だったのです」
ファーストシーンのコンビニ場面で、雑誌の広告に姿を借りて、
もう玲の有り様が暗示されている。

でも、それはバランスのせいじゃあない。
でも、バランスのせいにすれば自分が守れる。

脚本の荒井晴彦は、原作通りに脚色したと言う。
しかし、シナリオは微妙に原作を変え、
特に、ラストシーンは原作にはない。

出会った同じコンビニで二人は別れる。
岡部が去ったあとで、玲は口笛を吹く。

最初の岡部の口笛は、玲を呼び寄せるためだった。
最後の玲の口笛は、もう一度岡部を呼ぶための口笛?

違う。
玲は気付く。自分の今の口笛の意味を。
急に交信を切っても、相手が心配しないCQの決まり事の口笛。

別れる事で、魂はようやくコミュニケーションする。

レジに前に立つ玲の姿が長回しで撮られる。
アップではないが玲の表情が微妙に変化する。
嬉しいような、悲しいような、何かを決めたような。
そこに“声”はもうかぶらない。

廣木隆一監督は言う。
「痛い映画にしたかった」

原作には玲と母親、玲と国語教師との確執が描かれ、
自立をさまたげられた女性の再生の物語になっている。

映画は、そこをスッパリとカットし、
自立はしていても自律できない、
人間関係に苦しむ女性像を描き、
普遍性を勝ち得ている。

そう、再生ではなく新生の物語。
誕生には痛みがともなう。だからこの映画は、痛い。
共感と慰安と激励と「叱咤」が込められているから。

別れる時の玲を見る岡部の眼。
長年の同士を見送るような眼。
ああいう眼で女と別れる男の気持ち。
岡部もまた対人関係に苦しんでいる。
男も、痛いのだ。

原作にないこのラストシーンは、
60代という荒井晴彦にしか書けない。

「命短し、恋せよ乙女」
この映画から、この唄がきこえる。
この唄は、年寄りにしか唄えない。
むしろ年寄りだから、万感を込めてひっそりと唄う。

なぜ、そう思うかって?
それは、私も年寄りだから・・・。


寺島しのぶが良い。
個人的には趣味ではないが、
画面を引っ張っていくその存在感は圧倒的。

大森南朋が良い。
あの「殺し屋1」と同じ役者とは思えない。
何を演じても仲**矢になってしまう仲**矢や、
何を演じても浅**信になってしまう浅**信より、
はるかに良い。

麿 赤兒の息子だという。

posted by ELM at 20:43 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月18日

07.10.18のMOVIE TRAP:アルゼンチンババア

5月の同窓会で近況報告をした威史が
「アルゼンチンババア」のキャスティングは、
自分だと言います。

初参加のマッチが「あのタイトルはないよ」
と言います。

「(原作が)よしもとばなな、だから・・・」
と某(思い出せない)風邪薬のCMの最後に
お父さん役で特別出演している威史が答えて、
その話は終わりました。


鈴木京香では、ないですね。
良い役者とは思いますが、
予告編で勘違いしたように
夏木マリなら、A−OKです。

役所広司の役は大杉 漣でお願いしたかった
ところです。

不条理を受けとめて生きる女と
不条理に引き寄せられて死にそびれる男を
演じられるのは、この二人でしょう。


堀北真希は良いのですが、
ババアとジジイに人を得なかった為に、
存在感が薄くなりました。


役所広司に言いたい。
髪で演技するな!!
渡辺 謙を見よ。髪が、ない!!!

髪はデーモンぞ。
デーモンを殺して演技する
役者になれ。

森下愛子とその息子(役)が、良いです。
posted by ELM at 20:52 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月17日

07.10.17のBOOK ON:らくごDE枝雀

この前の日曜日、水道橋の日大経済学部本館へ
「U種メンタルヘルス・マネジメント検定」を
受けに行ってきました。

合否はまあ、68点か70点という感じですが、
緊張感があり面白かったです。

20代から60代とおぼしき男女が1教室
200人近くが集まっていて、何の試験か
一瞬考えてしまいました。


それはさておき、
最近作った資料は森永卓郎のビジネスコラム:
「安楽」と「快楽」からはじまるビジネスチャンスを
ネタ元にしていますが、そのさらにネタ元が、
この「らくごDE枝雀」なのです。


話は転々宇宙間(わかる人はわかる)で、
終了後、渋谷へ行き新しく出来た競合店を見に行き、
日比谷公園の「第14回鉄道フェスティバル」に
buta-muchiを(歳をとりましたね、話が長い)探しに行き、
さらにその足で全体会議のある品川の現場を下見に行き、
ふと見上げれば「くまざわ書店」があり、
入って見たら地元にも勤務先近所の本屋にもなかった
この本があったのです。



枝雀、天才だと思います。

楽をしようと思って、
人がしないような努力をしてしまうのは、
天才の営為です。


難しい方に向かって突進してしまう
人は「天才」だとY氏がELMを評して言った事が
ありますが、何、単に阿呆なだけです。


あっ、その後地元のDOCOMOに、
最近不調のワンセグ携帯のバッテリーを
交換しに行ったら、新品不良という事で、
無料交換でした。

小人(しょうじん)ELMとしては、
閑居して不善をなす暇が欲しいです。


posted by ELM at 21:07 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | site2:BOOK ON | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月13日

07.10.13のDia-Lee:掛川花鳥園

bitchcock.jpg

明日は「U種メンタルヘルスマネジメント検定」の受験日です。
こんな事をやっている場合ではないのでしょうが、
最近は心身共に疲れているのにやってしまいます。

代償行為でしょうか?



掛川花鳥園、最高です。
左肩に乗っているオニオオハシ君は、
クチバシしか見えないので最初は恐怖でした。

右肩に乗っているコガネメキシコインコは、
数十羽が一斉に飛来します。
ヒッチコックの「鳥」を思い出しました。

癒されました。

でも、エサを買わないと寄ってきません。
よく教育されています。

これから映画を観ます。
何を観よう。以上。

posted by ELM at 21:13 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(1) | site4:その日暮らしのDia-Lee | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月12日

07.10.12のミュージック・モルダー:坂井泉水がわかってきた!?

少しは治まりましたが、
左足の太股は痛いままです。

わかった事があります。
足の痛い人が、ぴょこんぴょこん歩く訳です。

例えば階段を降りる時、
ELMの場合、ステップに左足を
預ける時、激痛が走ります。

その激痛から逃れるため、
左足をすぐに上げます。

でも、それではバランスが悪くなるので、
安定を図るため右足が次のステップに飛びます。

それが、ぴょこんぴょこんの理由です。
不可避の動作です。勉強になりました。


で、坂井泉水ですが、帰り道で
「Today is another day」を聴いていて、
落涙しました。

こんな感想は間違っているかも知れませんが、
平成の演歌、援歌です。

ささやきだからこそ、
とどくこころがあり、
さまざまなこころが
あるからこそ、
できるだけおおくの
ひとにとどくたましいを、
こごえでうたっているような
きがしました。


花鳥園の話は、
いつのなるのでしょうか?
posted by ELM at 21:09 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | site8:ミュージック・モルダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月11日

07.10.11のグルマン民族:ヤマハリゾート「つま恋」日本料理「橘」

左足太股の激痛は去りません。
それなのに今日はビッグサイトに行く日でした。

コミケほどではありませんが、
東の3ホールを使ったイベントです。

歩き回っただけなのに、
帰りはりんかい線のエスカレータから
エスカレータ間を歩くのも大儀で、
地上までエレベータ。


昨年の箱根でbuta-muchiは
夜のバイキングにぶち切れました。

いくら種類や量が多くても、
普段食べられるものを食べたって、
面白くないだろう!

こんな子に、誰が育てたのでしょう?
まったくもって、その通りです。


だから、今年の旅行では、
ヤマハリゾート「つま恋」の
日本料理屋さん「橘」に2,000円プラスして
「ブロンズ」をオファーしました。

「シルバー」「ゴールド」もありますが、
予算の関係でいわゆる「梅」にしたのですが、
これがとんでもない至福の時でした。


詳細は省くか後日ですが、
翌朝、buta-muchiがbambiに
「昨日は一体何だったのだろう?」と
言ったそうです。

ELMも、そう思います。

何も残らないからこそ、
料理の印象は強烈で永久です。

日本中で修行した板長さんで、
行く先々の料理を取り入れているそうです。
posted by ELM at 21:00 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | site3:グルマン民族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月10日

07.10.10のDia-Lee:大井川鉄道

どこをどうしたのか?
半年ぶり? 腰が痛いのですが
隣の課の課長がぎっくり腰で、
まるで江戸時代のからくり人形のように
歩いています。

休めばいいじゃん、と思いつつ、
同病何とかではないですが、
医者も驚く痛みに強いELMは、
それでもカバンに常駐させておいた
半年前の鎮痛剤の残りを飲んで1日を終え、
夕食後立ち上がったら、
左足の太股に激痛です。

歩くのに無理をしていたのでしょう。
無理をして生きるのは慣れていますが、
痛いものは、痛い!!



それはさておき、大井川鉄道です。

金谷から千頭までの40キロを、
1時間20分で走ります。
時速30キロ平均でしょうか?

遠く近く、大井川と大井川の河川敷が遠近を変えます。
線路際の樹木の枝が窓を払い、次の窓も払って去ります。

通り過ぎる景色の中で、走馬燈のように、
赤ん坊が、農夫が、裸の学生たちが手を振ります。

車内の昭和一桁? 二桁? の男女が、
歓声、嬌声で応えます。

新幹線より遅いのに、
揺れは大きい大井川鉄道に乗りながら、
気持ち良さは速さではないのだな、と
大事な事を教わった気になって、
最初の日を終わりました。

明日は、多分、掛川課長園の事、
違う!! 花鳥園。

課長園なら、イヤ!!!




posted by ELM at 21:05 | ☁ | Comment(1) | TrackBack(0) | site4:その日暮らしのDia-Lee | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月09日

07.10.09のDia-Lee:大井川鉄道とか掛川花鳥園とか・・・

・・・の話を書こうとしたのです、今日は。
(先週、行って来ました)

で、帰宅中「メンタルヘルス検定」の勉強も
厭きたので、電車の中でカバンに
入れっぱなしの週刊文春を出したら、
何か変です。

10月4日号です。
週刊誌の発行日は1週間先行です。

(月刊誌は1カ月先行です。
 なぜこうなったかと言えば出版界の
 慣例で、日持ちの問題です。
 まあ、錯覚の奨励ですが)

ですから、今日持っていなくてはならないのは、
10月11号でなくてはいけないのです。
しかし、旅行中だったので、買い忘れたのです。

本題は大井川鉄道でも、
掛川花鳥園でもなく、10月4日号に
なっていきます。


連載の「テレビ健康診断(青木るえか)は、
好きなコラムです。

今回は「芝居が上手いと言われる人が
上手いとは思えない」で、対象は
仲代達矢です。

納得。

それは良いのですが、
その4頁後の「この人のスケジュール表」に、
当の本人が載っているのです。

こういう編集方針、って言うか編集って、
単なる手違い? 嫌がらせ?

この欄は、どちらかと言えば宣伝なので、
余計心配なのですが。

ちなみに、サブタイトルが「還暦の芝居派」に
なっていたので、そんな事はないだろう? と
見返してみれば「遍歴の・・・」でした。

文中「僕には役になり切ることはできないと
常々思っていて」とあり、オチにもならない。


ロッキーでスタローンで、
ランボーでスタローンである事の
凄さを感じてしまった。


クロサワが「影武者」でカツシンを
生かしていたら・・・と突然。
posted by ELM at 20:59 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | site4:その日暮らしのDia-Lee | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月08日

07.10.08のMOVIE TRAP;ロッキー ザ・ファイナル

この映画の骨格は年月だと思う。

もっと言えば死別であり、
老化と言う不可避の現実なのだ。

ストーリーは陳腐と言っては語弊がある。
定番と言っては支障がある。

過去のシリーズがあってこそ生きる展開と言える。
その意味で、まるで日活のプログラムピクチュアのようだ。

渡辺武信(お元気ですか?)の言う、
自己奪回の物語だ。

展開はお約束だが、このお約束は
ロッキーのシリーズとシルベスター・スタローンの
肉体があってこそ結実する。

相手チャンプの寓意はどうにも解釈のしようがあるが、
そんな事は誰かに任せておく。

10ラウンドを真っ当に戦い終わり、
採点が発表される前に、ロッキーは、
スタローンは仲間に言う。

「さあ、帰ろうぜ」

暗喩と言うつもりはないが、
結果はどうあれ、正々堂々と戦ったら、
ホームへ帰ろうぜ、と言うメッセージが潔い。


クレジットロールで、ロッキー・ステップ
(フィラデルフィア美術館の前の階段)で
「ロッキー1」のように乱舞する性別男女を超えた
人々が点描される。

「ロッキー」の本質が、このシーンにある。

名もなき無告の人の昂揚と勝利を、
束の間でも信じさせたからこそ
「ロッキー」は歴史に刻印ではなく、
歴史を刻印する。

posted by ELM at 20:51 | ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月03日

07.10.03のMOVIE TRAP:ミス・ポター

驚くほど、何も起きない。

せいぜい、フィアンセのトラブルくらいか。
でも、あきない。

英国英語、変な言い方だが、
すべてわからないまでも、
方言の米国英語より聞きやすいし、
妙にホッ、とする。

ピーター・ラビットのイヤー・プレートを
bambiは毎年買っていて、なぜかトイレには、
カレンダーも飾ってある。
(数年前にプレートの契約は終了したようです)


前半と後半の転調がよくわからないけれど、
心静かに、豊かに見終わる事ができたのは、
特筆だと思います。

でも、ピーナッツ(スヌーピー)の方が、
ELM的には好み。男の子、だからか?

中でもライナスは無上の共感を覚えるのだが、
タオルケットフェチにはならなかった。


ああ、それなのに、
buta-muchiは10センチ四方になったものを、
今でも肌身離さない。



レニとユアンも良いし、
脇も良いです。

資本主義の創世記を見るようです。
あ、すいません、最近は経済学を勉強し直しています。


心理学と経済学は学問ではない、と言う
自説が補強されるのが、むしろ怖いくらいです。

経済学が大恐慌を説明できないのはなぜか。
それは・・・これは別のsiteで書きますね。
posted by ELM at 21:13 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | site1:MOVIE TRAP | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月02日

07.10.02のMM:ZARD≒坂井泉水

もう1ヵ月以上もiPODで坂井泉水を聴いている。
朝晩、通勤の時間に計、約3時間。

最初は歌詞が入って来なかった。
今もよく聞き取れない。

不思議だ。

あんまり、言葉が心を撃たないので、
感覚が鈍ったのかとアンジェラ・アキや中島美嘉を
聴いてみる。

特にアンジェラ・アキのブレスとファルセットには、
鳥肌が、立つ。

何でも先物買いだった時期はとうに過ぎ、
今は評価が定着した時から興味を持つ。

つまり、蓋棺してから聴きはじめる。
尾崎 豊の時のように。


ようやく、合っているかどうかはわからないが、
この人の詩心(うたごころ)は
「失われた10年」がバックにあるのでは、
と想像する。

同時期、ELMは仕事内容が変わって、
音「楽」を楽しむ気分ではなかった。

坂井泉水の唄は、少しもELMに響かない。
でも気になる。

とても人工的で、それはこちらが歳を取ったせいかも
知れないが、こちらの琴線に触れない。

しかし、明日も聴くだろう。
それがわからない。

判断は留保する。

坂井泉水の言葉がじわじわとしみ入ってくる、
その予感を信じて。

音楽葬に4万人前後が集まった、と言う。
ファンには怒られるかも知れないが、
善きにつけ悪しきにつけ、
予兆には敏感でいるべきだ。

その思いが、坂井泉水に囚われる理由。


posted by ELM at 21:07 | ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | site8:ミュージック・モルダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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